隣の芝生は燃えているか

記憶の吐き溜め

「なんて綺麗な涙を流すんだろうね」

というのは、小学生の頃に保健室で聞いた言葉だ。

保健室に入り浸っていた3.4年生の私は、その日も何時間目かの授業をサボってそこにいた。

たしか私が先客で、ベッドに寝ていた気がする。

目を覚ましたら、レールカーテンの向こう側には同級生のお姉さんがいて(何度か遊びに行ったことがあったので面識はあった)

漏れ聞こえてくる話から察するに、家庭の事情か何かでイヤになってしまったらしい。

興味津々で聞き耳を立てていた私の耳にぶっ刺さったのが、保健の先生が放ったあの言葉だ。

何を言ってるんだこの人は。

さっきまであの子を慰めてなかったか?

ていうか綺麗な涙ってなんだよ。

今まで私の中で再生されていた3-B組的な学園モノのワンシーンが、急にバグってメロドラマに切り替わってしまったような、そんな感じ。

とりあえず、綺麗な涙とやらを拝むためにそっとカーテンの隙間から彼女を見た。

確かに、ぐずぐずに汚く滴る私の涙とは違って、静かにつうっと流れる彼女の涙は美しかった、かもしれない。

だけどあくまでそれは情景としてだ。

 

当時は大好きだった保健の先生だけど、

今思い返してみると居心地が悪いというか

飲み下せない異物に心がざらつく。

 

彼女の涙は、彼女以外誰のものでもない。

綺麗だと、美しいと、そんなことを言われたいがために泣いている人なんて、きっといないはずだ。(武器の方の涙を除いて)

その時の悔しさや悲しみは彼女だけのもので、決して他人が勝手に物語として消化していいものではない。

なぜ、人の涙を通して自身の感受性や過去やポリシーみたいなものをひけらかすのか。

それはあなたの話で、あなたの気持ちだ。

誰かの心を借りて語られるべきではないものだ。

「飾りじゃないのよ涙は」

 

寄り添うようにして相手を取り込むことは、ほんとうに怖い。

そこに悪気が一片もないから。

同じような気持ちを高校生の時にも味わった。

 

戦争に関するドキュメンタリー映画を体育館で学年揃ってみせられたことがある(そもそもこの催し自体がどうかしてると思う)

教室に戻るためにのろのろとスリッパを履いていた時、一緒になった友人がいつもとなんら変わらぬ調子で言った。

「こういう時泣いてるの、可愛いなあ」

 

ほんとうに怖かった。

何が、と言われても上手く言えないが、認識のずれというか、食い違いがまったく機能していなくて

「彼女にはそれがそのように見えている」ということがとにかく怖かった。

たぶん「自分の気持ちに正直に泣けるのっていじらしくてor素直で可愛いよね」的なニュアンスだったのかもしれないが、

あまりにドン引きしてしまった私はその日以来、その子の目を見て話せなかった。

漫画に描き起こそうと思ったレベルで衝撃的だったし、ある意味ではトラウマに近いかもしれない。

 

 

とにかく、

何が言いたかったかといえば、涙に勝手に期待をしたり意味を込めたり、決めつけたりするのは

その出どころたるひとりの人間に失礼だと思うし(重ねていうが、武器としての使用を除く)

なんか良いことひとつもないと思うからやめようや、ということです。

 

ちなみに私の場合、涙の出処は大半の場合が悔しさか絶望です。

気持ちが終わってくると何見てても泣きます。

最近はガルパンのOPで急に涙腺がゆるみ喉の奥が熱くなりました。

パ…パンツァーフォー!